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【個人的読書感想文】たちどまって考える ヤマザキマリ 著

 

著者の「今たちどまることが、実は私たちには必要だったのかもしれない」という想いにたどり着いた。この先世界は、そして日本はどう変わるのだろうか? ペストからルネサンスが開花したように、また新しい何かが生まれるかもしれない。混とんとする毎日のなか、それでも力強く生きていくために必要なものとは何だろうか? 」という。私もそういう思いだ。この先どうなるか、わからない自分に少しでも前向きになれるように、この本を読んでみた。

まず、中国とイタリアとの関係について述べられている。1980年代から中国の資本がイタリアに進出しており、今では中国無しではイタリア経済が成り立たないほどの関係である。特に北イタリアは結びつきが深いため、人の往来も多い。やはり人から人に感染するウィルスにとっては好都合だ。

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イタリアは17世紀のペストや20世紀初頭のスペイン風邪の影響を受けているため、決して感染症にはルーズね民族ではない。そこには抗体を作るという発想があり、身体の中からウィルスを守ろうとしているため、マスクを付けて守るということをしないらしい。たとえ、感染しても抗体ができれば良しということになっているのだろう。ウィルスと共生しようということか。

日本とイタリアの感染者の違いは、日本人はイタリアの人と違って、あまり話をしないと言う。満員電車でも、あまり話をしない。だから密でも、イタリアに比べて、感染が少ないのではないか。

著者の専門分野である美術にも、感染症に対する日本とイタリアの違いを解説している。日本の絵を見ると妖怪のように、森羅万象で天災のように、疫病はむやみやたらに争うものではないという表現か多いが、イタリアの美術はペストの影響からか、死神という表現で、天罰として、人々を懲らしめる、神の教えに反する者は懲らしめられるというメッセージが込められていると書かれている。

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異なる民主主義についても描かれている。ロックダウンの時期の差についても、経済優先なのかどうか?について、民主主義の思想の違いがでている。
どちらが正解なのか?わからないが、今後議論する材料にもなりそうだ。

不要不急の線引きについて。「外出するな!」と「できれば外出はしないでください」は明らかに違う。後者は、外出して感染したら、責任は持ちませんという意味も含まれているのだと思う。結局は組織として、責任を持ちたくないのだ。

面白いことも描いてある。事業の自粛要請の際、自粛しないお店は公表します。という表現は、世間の空気に晒しますので、世間から批判を浴びてくださいとのメッセージなのだが、他方でイタリアなどのヨーロッパ地方では、お店が公表されたら、集客効果が見込める良い宣伝になるとの発想になるとのこと。これは、国民性の違いだと思うが面白い。

パンデミックや戦争のような災禍は悲劇だが、それに耐えた人々の間に大きなエネルギーを蓄える働きもあるようだ。近いところでいえば、第二次世界大戦後の日本の文学、映画などの隆盛がそれを物語るだろう。たとえば安倍公房や三島由紀夫石川淳といった作家や、黒澤明小津安二郎たちの映画がそれに当たる。彼らは戦時下に経験した現実を、同じ問いを繰り返すように自分のなかで何度も考え、咀嚼し、戦後になってそれを作品として昇華したのだ。

今のこの時期は、成長する段階であり、日本の文化が開花するために時間なのではないか。現状に目を背けず、この時を過ごすことによって、私たちの未来は変わってくる。
耳の痛いことを避けず、面倒なことからも目を逸らさず、この時間をいかに過ごすかによって、私たちの未来は変わってくる。一人ひとりがルネサンスを起こせるかどうかの岐路に、今私たちはたっているのかもしれない。


一旦立ち止まって考えるということは、とても大切だ。猜疑心を持って過ごすことは、社会に流されないために必要なのである。信じることは美しいが、猜疑心があるからこそ、良質な社会環境を作り上げ、自分で考える力が養える。

一旦、立ち止まって考える。
そもそも、なぜ、こういうことが起きたのか?
そもそも、なぜ、自分は行動したのか?
そもそも、なぜ、自分は勉強しているのか?
など。

立ち止まって考える楽しさを知った。

この本は、その他、日本人の本質やsnsに対しての考え」言語の凶暴性など、さまざまな事例が取り上げられている。
何回でも読みたい素敵なエッセイだ。