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【個人的読書感想文】これからの「正義」の話をしよう

1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、その1人を殺すべきだろうか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか?

本書で著者マイケル・サンデル氏はこのように「正義とは何か」について考えさせられる問いを投げかけてくる。これらは全て、正解はないが決断を迫られるものばかりだ。そして私たちの道徳観や倫理観に鋭く訴えてくる。

正義とは、何なのだろうか?正解はあるようで無いような気がする。本書を読んでみて少しでも正義とはを感じてみたい、そう思って読んでみた。

商品やサービスの価格について考えてみたい。自由市場は、売り手が自由に価格を決められる。今回のようなコロナ危機など、不測の事態が起きた時は、マスクのように、とんでもなく高い価格の商品が並ぶ。そうなると多くの人が批判する。しかし、自由市場なのだから、これは批判にあたるのだろうか?人の弱みに、つけ込んでと言われればそうかもしれない。これは正義に関わってくると言うことになる。本書では正義の意味を探るアプローチに幸福、自由、美徳の3つの考え方に検討して政治について考えてみる

まずは幸福の最大化という考え方について見てみよう。ジェレミーベンサムが確立した功利主義の中心概念は、道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することだというものだ。ベンサムによれば、正しい行ないとは、快楽を生み、苦痛を防ぐもの(=「効用」)を最大化するものである。

しかし、功利主義の弱みの一つは個人の権利を尊重しないことだ。満足の総和だけを気にするため、個人を踏みつけにしてしまう場合がある。

一八八四年、四人のイギリス人の船乗りが乗っていた船が、南大西洋の沖合で嵐に遭って沈没した。四人は救命ボートで脱出したが、助かったのは三人だった。三人は雑用係の一人を食料にすることで命をつないだのだ。イギリスに戻ると三人は逮捕され起訴されたが、雑用係を殺さなければ四人全員が死んでいた。功利主義の観点から見れば、四人が死ぬより一人が犠牲になったほうが望ましいということになる。

これについてどう思うか。
私の気持ちは何とも言えないし、実際だったら、3人のようにしたかもしれない。ただ、殺された人の立場だったら、自分はどう思うか。やはり4人いっしょに亡くなろうと思ったかもしれない。ただ、これは時と場合によるし、その時の自分の立場にもよると思う。立場によっては、自分から殺してくれ、そして、あなたたちは生きてくれと言うかもしれない。

自由はどこまで容認されるか?

リバタリアンの中心的主張は、どの人間も自由への基本的権利を有しているというものだ。彼らは、経済効率の名においてではなく人間の自由の名において、制約のない市場を支持し、「安全のためにシートベルト着用を義務づける法律」のようなパターナリズム、売春や同性愛の禁止といった道徳的法律、富裕者への課税などの所得や富の再分配を拒否する。

政府による富の再分配に反対する背景は、リバタリアンの持つ自己所有権という概念である。自分が自分を所有しているなら、自分の労働やその成果も所有しているのであるから、政府が強制的に所得の一部を徴収することは、自分が政府に所有されていることになってしまう、という理屈だ。

ほんの少しだけ摘んでみたが、考えさせられる内容ばかりである。リバタリアンの主張などは考えさせられるところも多いが、自分自身の正義とは、何か考えてみたい。