改めてロシア革命を勉強して感じたこと
こんにちは。11/7tbsラジオ【荻上チキセッション22】を聞きました。
今回はロシア革命がテーマでした。
学生の頃、勉強したことは覚えてますが、戦争してレーニンが指導者になったくらいしか覚えてません。
改めて勉強したいと思います。
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予習です。これを読んでラジオを聞くとわかりやすい。
ニコライ二世が日露戦争で日本と戦っていた時「血の日曜日」という事件が起こる。これはガボン神父って人が先頭に立って、労働者の待遇改善や憲法の制定などを求めた平和的なデモだった。
しかし軍が発砲、4千人以上が死んだ。これによって帝政に対する失望と反発が募り、デモやストライキが頻発するようになる。これが第一次ロシア革命。
皇帝は譲歩して人民の基本的人権を認めたんだな。
やがて第一次大戦が始まると、外資が撤退してロシアの生産はほとんど停止してしまった。その上、兵士に食料を送らにゃならんのでとんでもないインフレになった。これに怒った主婦がパンを求めてデモを行うと暴動へと発展、軍や市民も同調して大暴れ、首都を制圧し「ソビエト議会」が結成される。ニコライ二世は退位させられ、後になってシベリアに送られ一族根こそぎ皆殺しにされた。ディズニーで有名なアナスタシア物語はこの時の話。これが3月革命(2月革命ともいう)。
で、その時にブルジョアやインテリが政権を握り臨時政府を作った。しかし、第一次大戦の継続をめぐって、中止を求めるソビエト議会と対立。そこに亡命先のスイスから戻ったレーニンが4月テーゼという演説を行って、この国の行くすえ、骨子を謳い挙げた。要するに「権力は人民に」「ソビエトが一番偉い」「戦え、権力をうばいとれ」と。民衆と兵は喝采を送って彼を支持、武装蜂起するがあっさり臨時政府に敗北し、レーニンはフィンランドに逃亡する。これが7月革命。
勝ったとはいえ、バツの悪い臨時政府はケレンスキーという民衆サイド寄りと思われている人を首相に据えて、反感をやり過ごそうとしていた矢先、コロニーロフって将軍が帝政回帰を企図して反乱を起こす。
その反乱を鎮圧するために、ケレンスキーはレーニンを呼び戻して兵士の士気を回復させ鎮圧した。
兵力を手に入れたレーニンはここぞと見て臨時政府をも打倒。友人のトロッキーと共に全権を掌握し、ソビエト議会の名の下に全ロシアを支配下に置いた。これが11月革命。
ここに、世界で初めての社会主義国が誕生する
ロシア革命について詳しくわかりやすく教えてください高2です -... - Yahoo!知恵袋
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私の気になった点 感想
2月革命、10月革命、その間に起こる紛争など、常に意味があるもので、その時の民衆の怒り、不満がよくわかった。しかしこの革命という戦いの中で、何人の人が死んだのだろう。トップは変わったけど、民衆の暮らしは良くなったのか?
革命と言う言葉の響きは良いが、本当に喜んでいた人はいたのだろうか?
10月革命によりレーニンが社会主義国を作ったが、戦争をやめたは良いが、経済は崩壊、人民を自由にという発想とは逆の自由のない監視社会。
知れば知るほど悲しくなってしまった。
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私のまとめ これからどうすれば良いか。
今回、ロシア革命100年とのことで勉強させていただいた。
革命がおこり、世の中が変わっても争いは終わらない。
常に混乱がある。
どうして混乱が起こる前に話し合いができないのか?
知恵は出せないのか?
混乱の中で関係のない人々が犠牲になる。
今も、争いごとは絶えない。犠牲者がでる前に対話で何とかしないといけない。
これからの私は、力ずくでなく、知恵を絞って行動しようと思った。